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2012年4月8日日曜日

問題は、たった一つだけ。妄想する事

(“言葉の力”と実況中継)より

意味を理解できない呪文自体に効き目は全く無い。
それは、迷信。
言葉に力は無い。
言語は、道具。

言葉によって、一部の感情が上がってくる。
言葉に力が在るのではなくて、心のエネルギーに力がある。

人間は、言葉を道具として使っている。
人間は、言葉で感情の管理ができる。
言葉を聞くと、心の中の感情がかき混ぜられて爆発する。

生命の問題は、たった一つ
妄想する事。
それさえ無ければ、全てOK

人間は、言葉で妄想する。

普段、歩きながら等、行動しながら絶えず妄想する。
妄想により自己破壊のエネルギーが入って来る。

だから、妄想出来ない状況を作る。
実況中継により思考を止める。
(スマナサーラ長老の教える、ヴィパッサナー冥想の方法。長老により方法が違う)
実況中継する事で妄想出来なくなる。
今の瞬間に生きる。

続けていけば心は治る。
本来、心は瞬間で治る。
訓練して、頭が、心が、綺麗になって、活発に動くようになる。

言葉を聞くと、心の中の感情がかき混ぜられて爆発する。

自分に怒り等の感情が無ければ、人が言うことに意味が無くなる。
人が、馬鹿にしても、何とも思わ無い。

2012年2月24日金曜日

「生きとし生けるもの」の中に「私」が入ってしまった。

私の宿泊冥想会の体験談が、日本テーラワーダ仏教の月刊誌Patipada3月号に掲載されました。
2011/12/29~2012/1/3

たった6日で溢れる程の実りがありました。

アラナ精舎で12月29日~1月3日に宿泊冥想実践会が開催されました。
宿泊者は、男女各2名で愛知からの参加者もおられました。
朝は4時半に起床、5時半に読経、夜10時までは、冥想、仏教の勉強、木岡様へのパーリ語についての質疑応答と有意義な年末年始を過ごせました。

■「生きとし生けるものが幸せでありますように」を1万回。
初日の宿泊は私一人。日が暮れる頃、座る冥想をしている時に慈悲(慈悲喜捨)の冥想の慈である「生きとし生けるものが幸せでありますように」を千回唱えたくなり、iPodのカウンターで回数を記録しながら唱えました。
苦しかったですが、心も落ち着き思考が止まる事も経験し2千回唱えました。

前週「慈悲の心は仏教の土台であり、その土台が無いと正しい智慧が生まれ無いのでは?」と思い長老の資料を調べて正しいと確信、慈悲の重要性を改めて心に刻んだばかりでした。

次の日からは朝4時半起床後に千回、昼食後に千回、就寝前に千回唱える事を基本にして、大晦日に5千回、元旦には1万回唱えました。
1万回の時に無明を引きずって前に進んだのですが、2回程、強烈な昏沈睡眠に負けて気絶したように後ろに倒れる。と言う落ちまで付きました。

毎日唱えると、一言一言に念が入るようになり、慈経、等で説かれている多岐多種の生命毎に上下360度の十方向へ一斉に慈悲の念を放つ事ができるようになりました。(一番陥りやすい出来たつもり?)

■「私」が「生きとし生けるもの」の中に入ってしまった。
毎日唱えていく中で、悟りの光が現われる(捨)と、幸せであり(慈)、悩み苦しみが無くなり(悲)、願い事が叶えられた(喜)事に気が付きました。

更に「私の親しい人」と「私の嫌いな人」と「私を嫌っている人」も「生きとし生けるもの」に入り、「仏教は生命の教えである」と発見した瞬間、「私」さえも「生きとし生けるもの」の中に入ってしまい生命のネットワークの中に「私」が居ました。

今は「生きとし生けるものに悟りの光が現れますように」と唱え、私を含む全生命に対して念を送っております。
が、この変化も流れの途中ですので、これからも様々な道を辿って行くのでしょう。

■畳一畳の中で歩く冥想。
ヴィパッサナー冥想の歩く冥想では、極小間隔(1cm未満の感覚)単位で瞬間瞬間、足の感覚を感じながら確り実況中継を繰り返しました。
その結果、畳一畳の幅を3分、道場一方向を12分で焦り無く集中して移動できるようになりました。
この超スローを実践した後、いつものように一歩を3秒程に戻すと、開花する花の連続写真のように感覚が細かくリアルに入るようになりました。
また、町を歩く時に歩く冥想をしても集中力が持続し妄想しなくなりました。

■夢の中で抱きしめた娘。
2年前に妻が3才の娘を連れて家を出てから、今までに娘に会わせてもらえたのが2回で合計2時間半です。5才になった娘が私に会いたがっていると義母から聞いています。私は仏教を帰依所として心の安定を保っていますが、娘の父への渇愛が心配です。冥想会最後の夜に夢の中で娘を抱きしめていました。

■苦しんでいる人達は、私の姿。
最終日の3時に冥想会が終了した後も冥想を続け、最後に暗闇の燈火に浮かび上がる世尊の前で慈悲の冥想をさせて頂きました。
途中から、孤児達、孤独な老人や若者達、病気で苦しむ生命、戦火の兵士達、戦争で家族を失った人々、死に逝く生命、等々、次から次へと現れて来ましたが、その全ての姿は、私自身にも追い被さろうとしている数々の恐怖(苦)である事に気付きました。

全ての命は、私と同じ命で、互いの苦しみや、命にさえも境が無いような気がしました。(無我の一種?)
だから、慈しみのある生命が、ネットワークの中に居る事を快く受け入れてもらえる。
慈しみは、生命の基礎であり仏教の土台だと更に心に刻みました。

■冥想会を通して。
一切の生命は平等、心の成長こそが真の実りである事を理解しました。
私が精進して一つの生命として成長する事で、私の周りの生命が幸せを感じる事。

私の心が結花(娘)にとって帰依所になる事が、父に会えない娘が時空を乗り越えて幸せになれる。と、答えが出ました。

親として…、
私の宝物は娘の「心」です。
結花の「心」が、理性と慈しみに溢れ幸せでありますように。

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。

2012年2月16日木曜日

捨。冥想は、捨てる訓練

(“悟りたい”人が悟れない理由)より
http://gotami.j-theravada.net/2006/07/dhammacast-21.html

「悟りたい」は、執着。
「幸福に成りたい」も、執着。
「苦しみを無くしたい」は、無執着。

仏教は、『執着を捨てる』ことを教えます。

冥想は、捨てる訓練。
仏教の冥想法は、「捨てる訓練」なのです。

2012年2月8日水曜日

起床時、就寝時の冥想

(書籍:自分につよくなる P177)

それから、もう一つ大切な日常的なヴィパッサナー冥想があります。

それは、
朝起きてすぐの時間と、夜寝る前の時間に、ヴィパッサナー冥想をするのです。
これは、とても効果的ですし、いろいろといいことがあります。

皆さんは何時間くらい寝ていますか。
ほんとうは8時間くらい寝たいのだけれども、いつも6時間くらいしか寝られませんという人が多いのではないでしょうか。  日本人の平均というのは、否世界中の人間はだいたいそのくらいの睡眠時間だとおもいます。
しかし、ヴィパッサナー冥想法を行うと、6時間どころかもっと少なくても8時間寝る以上に心身を十分休められるのです。

具体的にどのようにするか
といいますと、6時間寝るところを5時間だけ寝て、残りの一時間はヴィパッサナー冥想に使うのです。

たとえば、
夜の12時に寝て朝6時に起きている人は、5時に起きて下さい。  目覚ましでもかけて、朝5時になったら「さっと起きます」言葉に出してすっと起きて、足を組んで、目は開いても閉じても好きなようにして、姿勢を正しく、背筋は必ずまっすぐにして、
・心を体を整えます
・落ち着きます
・リラックスします
など、ご自分の言葉で言って下さい。
そして呼吸を整えてから「膨らみ・縮み、膨らみ・縮み、膨らみ・縮み」と、おなかの中の呼吸を観る冥想をして下さい。

そのときに、冥想だ。修行だ。などと力んではいけません。
あくまでも自然に、ちょっとリラックスをしようかなといとう軽い感じで冥想をすることが大切です。
そして、寒くなってきたら「寒くなってきた」とありのままに言葉で状態を捉え、眠くなってきたら「眠い、眠い」と、頭のなかで言いながら座ってみて下さい。

その一時間で、
三時間寝ても得られないような深い休息を得ることが、できるのです。
身体に休息が必要なように、心にも休息は必要です。

心に必要な休息は落ち着くことです。

寝ても、寝ても、どんなに睡眠を取っても疲れが取れない。  眠気が取れないというひとたちが多いのです。 目覚めたら、あくびをしたり身体をあっちこっち伸ばして疲れをとろうとしているでしょう。

ですから、朝はいつもより一時間早く
起きて、その一時間を心身を落ち着かせる時間、心を統一する時間にしてください。  一時間は長いとおもわれるのならば、最初は30分からはじめて下さい。

夜寝る前にも、同じように冥想
を行うことも、とてもいいのです。  ただ寝転んで寝るときは、なかなかすぐには熟睡できないのです。  すぐに熟睡できれば、一時間寝ても二時間寝ても、すばらしい休息がとれるのです。

ヴィパッサナー冥想をしてから寝れば、
さっと死んだような感じになって寝れるので、ほんとうによく疲れがとれます。  自分がいたかどうかということも全部忘れてしまって眠ってしまうような眠りが最高なのです。

どうするかといいますと、
眠りにつく前に、座って、呼吸を整えて、「膨らみ・縮み、膨らみ・縮み、膨らみ・縮み」と呼吸を観て、ほんとうにすごく眠くなるまで冥想をしてから

「これから寝ます」と、寝ればいいのです。

ヴィパッサナー冥想が身についた人は
いくら身体が疲れても、さっとサティをするだけで心身をすーっと休めることが出来ます。
まるでスイッチを入れると電気がパッとつくように、さっと心を、落ち着かせて疲れをとることができるのです。

ほんとうに身体が疲れ切ってへとへと
になっているときでも、どこかで座って少し冥想をすれば、すーっと疲れが引いていきます。
これはほんとうに不思議です。  まるで奇跡のようです。

ですから、奇跡などは
何もサイババの所などに行かなくても、自分で簡単に行えるのです。
サイババの所にいくと何か時計をつくってくれるそうですが、つまらないじゃないですか。
まあ大きなダイヤモンドでも作ってくれるならば飾って楽しむこともできるかも知れませんが、時計だけだそうです。

ですから、そんな所に行くよりも、
自分で奇跡を行うことのほうが、ずっと楽しいでしょう。
ぜひ試してみて下さい。

2012年1月23日月曜日

仏教の2大要素は、慈悲と真理

慈悲、智慧の説明としては、全く足りません、今後、更新していきます。

■仏教の2大要素
1.慈悲の心を育てる。
2.真理の発見。

■慈悲とは
慈悲喜捨(四無量心)の事
1) 慈:Mettā(メッター) 友情のような優しさ 
2) 悲:Karunā(カルナー) 他者の苦しみをなくしてあげたいという優しさ 
3) 喜:Muditā(ムディター) 他者の幸福を共に喜ぶ優しさ 
4) 捨:Upekkhā(ウペッカー) 差別のない広々した平等な心でいる優しさ 

≪生き方≫
慈悲とは、人がどの様に生きれば良いか?
という質問に対する お釈迦様 の答えです。

≪エゴを消す≫
慈悲の冥想をする度にエゴが消えていく。

≪仏教の土台≫
慈悲は、仏教の土台であり、
慈悲が育っていないと、言葉で真理を理解しても、
正しい禅定が作れず、悟りの智慧が生まれません。

≪心と身体を清める唯一の方法≫
「この体で犯した罪は、この世で償って、あの世には
持って行きません」と、思うならば、
(mettā cetovimutti)「慈悲心解脱」を実践するのです。
※心解脱(慈悲)、慧解脱(ヴィパッサナー)

≪罪からの解放≫
罪を悔い改め、心清らかにしたければ慈悲の瞑想しかない。
慈悲の瞑想をすれば恩赦になる。【異熟】

≪悟る≫
慈悲でエゴが消えたら不還果の「悟り」です。
この世で、完全に解脱に達することができなかった場合でも、
二度と、この世に戻れない境地である、不還果に生まれるのです。 

■真理とは
・真理とは、四聖諦
・真理とは、苦、無常、無我
・心と身体に真理がある。