(安らぎへの道は険しくない)より
http://www.j-theravada.net/howa/howa165.html
「すぐ解脱に達しますよ」と釈尊に言われても、実際に、解脱に達する人は少ないのも事実です。
それは人々の理解能力の問題です。
生きることは苦である、という真理を認めたくはないのです。
何を言われても、生きることでいろいろ楽しみがあるのではないかと、思っている。
それで、生きることに執着するのです。
執着を捨てることが、解脱です。
「執着を捨てたくないが、ブッダの教えはありがたい。
実践したい」と言っても矛盾があります。
ブッダの説かれた「生きることは苦である」という真理を否定しているのです。
その真理を否定すると、「解脱は最高の幸福である」という真理も否定しているのです。
冥想をしてもサマーディに達しない、気づきの実践をしても解脱に達しないケースが、釈尊の時代でもあったのです。
釈尊がその理由を解明するのです。
サマーディに達するためには、五欲を捨てなくてはならない。
解脱に達するためには、一切の物事に対する執着を捨てなくてはならない。
しかし、生きること(五蘊)で、楽しみがあるのだと思うと、捨てられないのです。
ですから修行者は、五蘊から得られる利点は何なのか、
五蘊により生じる欠点は何なのかと、
ありのままに観察して発見する必要があるのだと説かれています。
生きることで、見る楽しみ、味わう楽しみなどがあります。
それは、その情報に触れて生れる感覚は楽だと理解したからです。
その感覚も、情報も、無常で一時的です。
感覚に執着すると、限りのない苦しみが付いてきます。
このような理解があったうえで、冥想実践すると、間もないうちに解脱に達するのです。
2012年4月8日日曜日
問題は、たった一つだけ。妄想する事
(“言葉の力”と実況中継)より
意味を理解できない呪文自体に効き目は全く無い。
それは、迷信。
言葉に力は無い。
言語は、道具。
言葉によって、一部の感情が上がってくる。
言葉に力が在るのではなくて、心のエネルギーに力がある。
人間は、言葉を道具として使っている。
人間は、言葉で感情の管理ができる。
言葉を聞くと、心の中の感情がかき混ぜられて爆発する。
生命の問題は、たった一つ
妄想する事。
それさえ無ければ、全てOK
人間は、言葉で妄想する。
普段、歩きながら等、行動しながら絶えず妄想する。
妄想により自己破壊のエネルギーが入って来る。
だから、妄想出来ない状況を作る。
実況中継により思考を止める。
(スマナサーラ長老の教える、ヴィパッサナー冥想の方法。長老により方法が違う)
実況中継する事で妄想出来なくなる。
今の瞬間に生きる。
続けていけば心は治る。
本来、心は瞬間で治る。
訓練して、頭が、心が、綺麗になって、活発に動くようになる。
言葉を聞くと、心の中の感情がかき混ぜられて爆発する。
自分に怒り等の感情が無ければ、人が言うことに意味が無くなる。
人が、馬鹿にしても、何とも思わ無い。
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